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福島地方裁判所会津若松支部 平成5年(わ)3号 判決

主文

被告人を懲役一年六か月に処する。

未決勾留日数中一二〇日を右刑に算入する。

理由

(犯罪事実)

被告人は、

第一  法廷の除外事由がないのに、平成四年一二月中旬ころから、同月二六日ころまでの間、宮城県内、福島県内又はその周辺において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパン若干量を自己の身体に摂取し、もって覚せい剤を使用した。

第二  同年一二月二七日午後八時五八分ころ、福島県会津若松市山見町二四八番地所在の会津若松警察署二階第二取調室において、同署勤務の司法警察員警部補伊藤一男が覚せい剤取締法違反被疑事実について被告人を取調べ、その供述を録取した供述調書(三枚綴りのもの)を作成した際、いきなり右調書用紙二枚を奪い取って引き裂き、もって公務所の用に供する文書を毀棄した

ものである。

(証拠)(省略)

(累犯前科)

第一  事実

一  昭和六三年一〇月六日長野地方裁判所伊那支部において、覚せい剤取締法違反の罪により、懲役一年四月に処せられ、平成二年一月六日右刑の執行終了。

二  その後犯した覚せい剤取締法違反の罪により、平成四年三月二四日長野地方裁判所諏訪支部において、懲役一年二月に処せられ、同年一一月四日右刑の執行終了。

第二  認定証拠

前科調書及び平成四年三月二四日付け判決謄本

(適用法令)

罰条     第一の事実  覚せい剤取締法四一条の三第一項一号、一九条

第二の事実  刑法二五八条

累犯加重          刑法五九条、五六条一項、五七条

併合罪加重         刑法四五条前段、四七条本文、一〇条、一四条

(短期は刑法二五八条のそれによる。)

未決勾留日数の算入     刑法二一条

訴訟費用の不負担      刑事訴訟法一八一条一項ただし書

(弁護人の主張に対する判断)

第一の事実について

一  第一の事実についての弁護人の主張の要旨は「本件公訴事実を裏付ける唯一の証拠は被告人の尿の鑑定書であるところ、この尿は、平成四年一二月二六日午前一一時〇五分ころ、猪苗代町の堅田中丸交差点で走行中の被告人車両を停止させ、同日午後一〇時三五分に会津若松警察署内で緊急逮捕手続がされるまで、約一一時間三〇分もの長時間に及ぶ事実上の身柄拘束をした結果採取されたものであり、このような違法な捜査がなければ本件公訴の提起自体が不可能ないし困難であったことは明白であるから、公訴棄却が言い渡されるべきである」というものである。

二  証拠(被告人及び福王寺芳郎の当公判廷供述の他、各項末尾に掲げるもの)によると次の事実が認められる。

1  被告人は、平成四年一二月二五日、占い器リースの顧客開拓のため会津を訪れたが、道に迷い、かつ車の燃料が切れたため、福島県河沼郡河東町大字八田字八田野所在のガソリンスタンド前で夜明しをし、翌一二月二六日午前六時三〇分ころ給油をしてもらったものの、車が動かなかったことから、通り掛かった田中勝らに、一〇〇メートル位離れた同地内の小林自動車整備工場まで車を押してもらい、同工場で修理をしてもらった。(渡部巳之吉(二通)、田中勝、星テイ子、佐藤勤、萱森利男の各司法警察員に対する供述調書)

2  修理が終わった午前一〇時四〇分ころ、被告人は、会津若松警察署八田駐在所勤務の福王寺芳郎巡査部長のもとへ電話をかけた。その内容は「昨晩は車の誘導をしてもらってありがとうございました。シャブで警察が何人も動いているでしょう」というものであった。しかし、同巡査部長が車の誘導をしたことはなかったのみならず、「シャブ」という覚せい剤常習者特有の隠語を使用しており、また同巡査部長が私服で同工場に行くと言うと「それはヤバイ」と言ったり、名前を聞かれても「小林だが、仮名かもしれない」と答えたりしていて、応答内容が異常であった。このため、同巡査部長は、電話をしてきた人物が覚せい剤を使用しているのではないかとの疑いを持ち、電話が切れた直後、会津若松警察署の日直長に電話連絡をし、同工場に赴いたが、すでに被告人は車で猪苗代方面へ立ち去ったあとであった。そこで同巡査部長は、その旨と被告人の人相及び運転車両のナンバー、車種等を日直長に再度連絡した。(田中信雄作成の電話箋=甲12)

3  福王寺巡査部長から右連絡を受けた会津若松警察署の田中信雄警部は、午前一〇時四六分ころ、猪苗代警察署に検問手配を依頼した。(甲12、田中信雄作成の捜査復命書=甲13)

4  午前一一時〇二分ころ、被告人運転車両の検索指示を受けた猪苗代警察署の磯部毅巡査部長他一名は、福島県耶麻郡猪苗代町大字長田字南烏帽子八六五番地先国道四九号線上で被告人運転車両とすれ違い、直ちに反転して追跡を開始した。

次いでその直後、やはり検索中だった小熊一夫巡査運転車両が、同町大字堅田字小黒河岸地内において被告人運転車両とすれ違い、同車両も直ちに反転して追跡を開始した。同巡査は車両の赤色灯を点灯し、拡声器で停止を指示したが、被告人運転車両はこれに従わず、二、三度蛇行しながら、郡山方面へ進行を続け、午前一一時〇五分ころ、同町大字堅田字宮西の通称「堅田中丸交差点」の手前に至り(以下、ここを「現場」という)、小熊巡査運転車両が並進しながら停止を指示したため、停止した。(小熊一夫作成の捜査復命書=甲22、磯部毅他一名作成の捜査復命書=甲23)

5  午前一一時一〇分ころ、猪苗代警察署の檜山仁巡査部長らが現場に到着して被告人に職務質問をしたが、その際被告人は目をきょろきょろさせ、落ち着きのない態度であり「取調べが終わったら早く帰してくれ。俺は覚せい剤の前科はあるが、早く目的地の宮城へ行かなくてはならない」などと言っていた。また、運転免許証から被告人の特定がされたことから、前科照会をした結果、被告人には覚せい剤取締法違反の前科四犯を含む七件の前科があると判明し、午前一一時二五分ころ、その旨が猪苗代警察署の今井敏美警部補から現場の磯部毅巡査部長に連絡された。(檜山仁他一名作成の捜査復命書=甲21、甲22、甲23、今井敏美作成の捜査復命書=甲24)

6  午前一一時二〇分ころ会津若松警察署八田駐在所の福王寺巡査部長が、次いで同三三分ころ会津若松警察署の猪狩好雄警部補と朝倉雅夫巡査部長が現場に到着して、猪苗代警察署員から被告人に対する職務質問を引き継ぎ、その後同三八分ころ同署の八島正行警部補、吉田勉警部補が、さらに午後一時一五分ころには同署の伊藤一男警部補らも加わって、被告人に対し、職務質問を継続するとともに警察署への任意同行を求めたが、被告人は一貫して「自分に車を運転させるのであれば警察署に行ってもよいが、そうでなければ任意同行は拒否する」旨述べていた。(猪狩好雄作成=甲28、朝倉雅夫作成=甲29、吉田勉作成=甲30、八島正行作成=甲31の各捜査復命書、伊藤一男他一名作成の職務質問状況復命書=32)

7  なお、被告人運転車両のキーは、猪苗代警察署の檜山巡査部長が、被告人に対する職務質問を継続中に、取り上げていた。これは、同巡査部長ら作成の捜査復命書によれば、被告人が国道上を走行中、二、三度蛇行していたのを追跡中の警察官に目撃されていたこともあり、また覚せい剤使用の嫌疑もあったことから、同巡査部長において、「被告人は、道路交通法六六条の薬物の影響により正常な運転ができない状態であり、このまま運転を継続すると第二次犯罪を誘発するおそれがあって、非常に危険である」と判断して、警察官職務執行法五条により行ったものである、と説明されている。

このキーは、午前一一時三三分ころ現場に臨場した会津若松警察署の猪狩好雄警部補らに引き継がれた。

被告人は、猪狩警部補らの職務質問中に、車のキーを返せとの要求もしていたが、同警部補らは、雪道でもあり、被告人には覚せい剤使用の嫌疑もあったことから、この要求を拒否した。(甲21から23、28、30、32)

8  午後一時一〇分ころ、猪狩警部補と福王寺巡査部長は、会津若松警察署への帰署を命じられて現場を離脱し、会津若松警察署において本件の捜査復命書の作成にあたった。また、被告人説得の状況から、被告人の強制採尿が必要であるとして、午後一時五四分ころ会津若松警察署の小林安雄巡査部長から総合会津中央病院宛に、尿の採取の依頼がされた。(甲28、鵫巣博作成の強制採尿の必要性について=甲34、小林安雄作成の電話箋=甲35)

9  午後三時ころ、現場に会津若松警察署の菅野正幹警部が臨場し、被告人に任意同行に応ずるよう説得したが、被告人はこれに応じなかった。その際菅野警部が「令状を持ってくれば(採尿に)協力できるんだな」と確認したところ、被告人は「持ってくるなら持ってきてみろ」と言ったため、同警部は午後三時二六分強制採尿の令状を請求するため、現場から離脱した。(菅野正幹警部作成の犯罪捜査復命書=甲33)

10  午後四時二〇分ころ、会津若松簡易裁判所に対して、被告人に対する覚せい剤取締法違反被疑事件について、覚せい剤等の差押えを目的とする被告人運転車両と被告人の身体の各捜索差押許可状、並びに被告人の尿の強制採取のための捜索差押許可状の各発布申請がされ、各令状は午後五時〇二分ころ発布された。そこで、この各令状に基づき、午後五時四三分から被告人の身体の、次いで午後五時四八分から被告人運転車両の、各捜索がされたが、午後六時二八分ころ、手帳二冊を差押えただけで終了した。(捜索差押許可状請求書三通、同許可状三通、捜索差押調書二通=甲37、39)

11  強制採尿のための捜索差押許可状には「強制採尿は、医師をして医学的に相当と認められる方法により行わせること」との条件が付されていた。この令状は、被告人の身体の捜索が終了した午後五時四五分過ぎころ、捜査用無線自動車「若松六二」の車内で被告人に示されていたが、被告人運転車両の捜索が終了した後の午後六時三二分ころ、被告人を右「若松六二」に乗車させたまま、総合会津中央病院救命救急センターに搬送し、午後七時一〇分ころ到着した。この間、被告人は、腕を振り上げようとしたり、小林安雄巡査部長に頭突きをしようとしたりしていたので、捜査用車両の中でも、被告人の右手首を国分司巡査長が、左手首を小林安雄巡査部長がそれぞれ制圧していなければならない状況であった。(小林安雄巡査部長作成の同行状況報告書=甲40、捜索差押許可状=甲42)

12  午後七時四〇分ころから五二分頃までの間、総合会津中央病院救命救急センターにおいて西芳徳医師の手で被告人の尿の強制採取がされたが、その尿の一部について同病院内で「尿中覚せい剤簡易予試験法(吸着チップ法)」で試験したところ、陽性反応を示した。(伊藤一男作成の捜査復命書=甲41、西芳徳作成の答申書=甲43、捜索差押調書=甲44、遠藤成一他一名作成の任意同行報告書=甲48)

13  午後八時一〇分ころ、被告人に再び会津若松警察署への任意同行を求めて同病院を出発しようとした。この任意同行についても、被告人は興奮した様子で、弁護士に電話をさせろと暴れたり、遠藤成一巡査部長らの制止を振り切ってその場から立ち去ろうとしたりしており、同巡査部長らは、そのままでは被告人の負傷等のおそれがあると判断して、前記「若松六二」の後部座席中央に被告人を乗車させ、その右側に伊藤一男警部補、その左側に遠藤成一巡査部長が乗車して、被告人に任意同行の説得を継続した。被告人は、これに対して、遠藤巡査部長に掴み掛かったり「これは強制捜査で違法だ」などど言いながら車両から出ていこうとしたりしたが、腕などを制圧されたりしたので、結局は「警察に連れていくなら勝手にしろ」などと申し立てた。そこで、被告人をそのまま車両に同乗させて会津若松警察署に至った。(甲41、48)

14  午後八時二〇分ころから、会津若松警察署二階第二取調室で事情聴取を始めたが、被告人が「弁護士に電話をさせろ」と要求したので、午後八時四五分ころから、被告人にテレホンカードを貸与して、弁護士に連絡させた。被告人は、その後も取調べには応ずることなく「任意捜査だから帰ってもいいのだろう」などと言って立ち上がったりしていたが、警察官に制止されるなどしているうち、午後一〇時三五分ころ、被告人の尿にフェニルメチルアミノプロパンの含有が認められる、との鑑定結果がでたので、同署において緊急逮捕された。(甲41)

15  この間被告人の食事は、会津若松警察署において、緊急逮捕前の事情聴取中に夕食をとった他は、現場では、昼食をとることもできなかったし、トイレに行くこともできなかった。(甲41)

16  なお午後三時〇四分ころから五二分ころにかけて、被告人が福王寺巡査部長への電話で述べていた被告人運転車両の誘導等の事実について確認したところ、会津若松、猪苗代、喜多方、会津坂下、会津高田の各警察署や高速道路交通警察隊のいずれにも、そのような事実はなかった。(田中信雄作成=甲15、遠藤成一作成=甲16、17、鵫巣博作成=甲18、小林安雄作成=甲19、20、の各電話箋)

三  右事実によって考えてみる。

1  弁護人は、事実上の身柄拘束が午後一〇時三五分まで続いたと主張する。

2  まず身柄拘束の点であるが、警察官が被告人運転車両のキーを取り上げているのであって(7項)、このことは、有形力の行使によって被告人が現場から離脱することを不可能ないし著しく困難にしたものであり、事実上の身柄拘束があったというべきである。

この点について、警察官は、前記のとおり警察官職務執行法五条により、適法であると主張している。しかしながら、警察官主張の事実のうち、被告人運転車両が蛇行していたという点については、当時路面は圧雪状況であったから、当然にスリップが考えられるのであって、それ以上に被告人の運転操作が異常であったとする証拠はない。また被告人が覚せい剤を使用していた嫌疑は相当にあったものの、覚せい剤の影響により正常な運転ができない状態であった(道路交通法六六条)ものと認められる証拠もない。そこで、キーを取り上げた警察官の行為が、同法によって適法になるとするのは、疑問がある。

3  次に身柄拘束の継続時間であるが、この点で弁護人の主張する時間は、前記のとおり被告人が緊急逮捕された時間であるところ、主張のとおりの継続時間であれば、相当の長時間であり、かつ拘束が深夜にまで及んでいることやキーを取り上げたという拘束の方法も考え併せると、令状によらない逮捕がされたものであり、全体として令状主義を潜脱するものといわざるを得ない、との判断になることも考えられる。しかしながら、当裁判所は、事実上の逮捕による身柄拘束時間は、午後五時〇二分ころまでであると考える。その理由は次のとおりである。

(1) まず、被告人に対しては、午後五時〇二分ころには強制採尿のための捜索差押許可状が発布されている。そして、同令状は「強制採尿は医師をして医学的に相当な方法により行わせること」との条件が付されていたのであるから、この条件を充足するためには、採尿場所は、医学的に相当と認められる方法をとることのできる場所である必要があるし、また同時に、強制採尿の性質上、被告人に著しい恥辱感や精神的苦痛を与えるおそれのない場所であることも必要であるものというべきである。そして、前記のような条件を付した令状は、このような場所に被疑者を同行することを当然の前提としているものというべきであるから、警察官が被告人を病院まで連れていき、強制採尿に必要な時間、病院に留め置くことは、刑事訴訟法二二二条一項で準用される同法一一一条一項所定の「必要な処分」として許されるものである。そこで、令状が発布された午後五時〇二分ころからは、被告人の身柄を事実上拘束したことは、許される。なお、右令状が被告人に示されたのは、現場において被告人の身体の捜索が終了した午後五時四五分過ぎころである(11項)。しかしながら、現場が離れているために、令状発布後現場に赴くまでに約四〇分を要しており(甲40)、また現場においては、まず被告人の身体の捜索を優先させたもので、同捜索には数分しかかからず、この身体の捜索を優先させた判断にもおかしなところが見出せない、という本件の状況のもとでは、令状発布後現実に同令状が被告人に示されるまでに要した時間は、令状の執行に密着し、その執行のために必要不可欠であった時間として、許される。

(2) 次に、病院において午後七時五二分ころまでの間に強制採尿をし、この尿に対する簡易予試験をした結果、被告人の尿からは覚せい剤の反応があったのであるから(12項)、前記のとおりの被告人の言動等と併せ考えれば、この時点で被告人の覚せい剤使用の嫌疑は極めて高くなったものであり、被告人を緊急逮捕することが可能であったものというべきである。そこで、緊急逮捕手続がとられていれば、被告人の身柄拘束については、その時点で適法なものとなる。しかし、本件ではこの手続はとられず、そのまま抵抗する被告人を任意同行と称して会津若松警察署まで連行した。この際の連行行為は、被告人を捜査用車両の中央に乗車させ、かつ被告人の腕を制圧したりしており、事実上の逮捕であったといわざるをえないものである。しかしながら、この際には、被告人の覚せい剤使用嫌疑が非常に濃くなっていて、緊急逮捕もできる状況であったのであるから、この時点で逮捕せず、正規の鑑定結果が出てから緊急逮捕したことは、逮捕時間の制約を逸脱したのではないかとの問題は残るものの、令状主義を潜脱した違法などを見出すことはできない。(なお、本件記録中の勾留状によれば、被告人を検察官に送致したのは、一二月二八日午前一〇時〇八分のことであり、同日被告人に対する勾留状が発布されているのであるから、逮捕時間の制限の面でも違法とはいえない。)

4  そこで、被告人の事実上の逮捕による身柄拘束が午後五時〇二分ころまで続いたことを、どのように評価するかが問題となる。

(1) 現場において、被告人が停車を求められ、職務質問を受け、任意同行を求められたことは、被告人の電話の内容(2項)、判明した前科や供述態度(5項)からすれば、被告人には、覚せい剤を使用しているのではないかとの嫌疑があったというべきであるから、警察官職務執行法二条一項、二項によって許される場合にあたる。

(2) この職務質問等は、当然のことながら任意捜査であるが、本件で問題となるのは、被告人運転車両のキーを取り上げて、被告人の要求にもかかわらずこれを返還しなかったことである。前記のとおり、これは、被告人が現場を離脱することを事実上不可能ないし著しく困難にする行為であり、警察官が被告人の現場からの離脱を防ぐために、有形力を行使したものであって、事実上の身柄拘束というべきである。

ただ、任意捜査には、いかなる有形力の行使も伴ってはならない、というものではない。すなわち、捜査において強制手段を用いることは、法律の根拠規定がある場合に限り許されるものであるが、この強制手段とは、あらゆる有形力の行使を伴う手段を意味するのではなく、個人の意思を制圧し、身体、住居、財産等に制約を加えて強制的に捜査目的を実現する行為など、特別の根拠規定がなければ許容することが相当でない手段を意味するものである。そして、そのような強制手段にあたらない有形力の行使であって、その必要性、緊急性などを考慮した上、具体的状況のもとで相当と認められる限度のものは、任意捜査に伴う有形力の行使として、許容される、というべきである。(最高裁判所昭和五一年三月一六日判決を参照)

(3) この観点から、本件の場合を考えてみると、

〈1〉 前記のとおり被告人に対する覚せい剤使用の嫌疑が相当にあり、このような覚せい剤使用という重大犯罪の嫌疑である以上、一般的な捜査の必要性は極めて高かったこと。

〈2〉 被告人が警察官に述べていた住所は肩書住所地(宮城県)であって、福島県外であり、覚せい剤使用という嫌疑の性質上、被告人が県外に帰宅してしまうとその後の捜査が極めて困難になることが予想されるし、また現場は、高速道路の入り口に近い場所であり、被告人に自動車の運転を認めることは、被告人が遠方に行ってしまう可能性が高く(被告人の供述によれば、被告人は高速道路に入るつもりであったものと認められる)、この面からも、このまま被告人に運転を継続させた場合には、捜査が困難になる、と考えるのが自然であって、そのことは逆に、本件の有形力の行使の必要性が高かったということができること。

〈3〉 キーの取上げについて、警察官職務執行法五条により適法化されるとするのは、前記のとおり賛成しがたいが、当日は冬季で、路上は圧雪状態であり、現実に被告人運転車両も蛇行していたことからすれば、当時の判断としては、事故発生の危険性があると考えたことは、やむをえなかったところもあり、その違法性は少ないと考えられること。

〈4〉 前記のとおり午後四時二〇分には裁判所に捜索差押許可状の発布が請求され、午後五時〇二分ころには同令状が発布されており、また被告人の事実上の身柄拘束で根拠が見出せないものは、午前一一時〇五分ころに開始された職務質問の途中にキーを取り上げてから午後五時〇二分ころまでの間(職務質問の当初から計算しても約六時間)であり、比較的長時間ではあるが、昼間であって、深夜等には及んでいないこと。

〈5〉 有形力の行使の具体的方法も、キーを取り上げ、被告人運転車両の前後に捜査用車両を停車させる等であり、被告人の身体に直接有形力を行使したものではないこと。

〈6〉 路上という状況で、被告人が食事もできなかったというのは、やむをえなかったものと認められること。(なお、被告人がトイレを要求したとは認められない。)

これらを考え併せると、本件の有形力の行使は、前記の任意捜査に伴う有形力の行使の範囲内であったものというべきである。

四  以上のとおりであるから、本件捜査の過程で、警察官の個々の判断に問題点はあるものの(キー取り上げの理由、緊急逮捕の時点)、全体として本件捜査が違法であったということはできない。これが違法であることを前提として公訴棄却を求める弁護人の主張は採用できない。

第二の事実について

一  弁護人の主張の要旨は「〈1〉警察官が被告人の弁解を十分に聞き入れることなく供述調書を作成しようとしたので、被告人が以後の手続における不利益を避けるためにした自己防衛としての行為であり、〈2〉供述調書は被告人の署名前であったから、保護法益が乏しいし、〈3〉警察官が二名いる状況で、被告人の行為を阻止することが容易であったのに、阻止することなく逮捕しているのは公正さを疑わせるし、〈4〉そもそも覚せい剤取締法違反の捜査等が重大な違法性を持つから、それに付随する公文書毀棄の公訴提起は公訴権の濫用である」というものである。

二  伊藤一男の公判供述、実況見分調書(前記二の3の証拠)、押収中の供述調書(平成五年押第二号の1)によると、次の事実が認められる。

1  まず、〈1〉の主張に対してであるが、被告人の弁解を十分に聞き入れることなく調書が作成された事実はない。調書の内容を見ても、 警察官からの問いに対して、ほとんどが「答える必要がない」とか「私の言ったことを書いて下さい」となっていて、速記録のように、被告人の述べたことを一言ずつ正確に記載してあるものではないが、結論的には被告人の述べたことを記載したものである、ということができる内容である。

そして、そもそも仮に被告人主張のとおり、述べたことと違うことが記載されたとしても、訂正を求めるとか署名等を拒否すればよいのであって、調書を破棄することは許されるものではない。

2  次に〈2〉の点であるが、確かに被告人の署名前であり、その意味で未完成の調書ではあるが、このような調書でも、十分に保護法益性を有していることは、確定した判例である。

3  〈3〉については、確かに取調室には、伊藤一男警部補のほかに、宗田巡査がいたが、伊藤警部補は被告人と取調机を挟んで対座しており、また宗田巡査は、伊藤警部補の後ろで、被告人から見て右手の壁を向いて調書記載にあたっていたものである。このような状況で、本件犯行は、宗田巡査から伊藤警部補に、記載した調書三枚のうち二枚を手渡した時、被告人が突然立ち上がり、取調机の向こう側から手を延ばし、伊藤警部補から調書を取り上げて、破ったものであり、このような被告人のとっさの犯行を阻止することは、到底可能であったとはいえない。4 〈4〉の主張については、前記のとおり本件の覚せい剤取締法違反事件の捜査が違法であったということはできない。

三  以上のとおり、この点の弁護人の主張も採用できない。

(出席検察官・三品恵一)(同弁護人・船木義男)(求刑・懲役二年)

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